【Excel偉人紹介】エクセルの生みの親「チャールズ・シモニー」

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私たちが普段お世話になっているExcelに敬意を表し、定期的にExcelに関する偉人をご紹介していきます。

今回は、Excelの開発者、チャールズ・シモニー氏をご紹介していきます。

チャールズ・シモニー氏とは?

チャールズ・シモニー(Charles Simonyi, ハンガリー語: シモニ・カーロイ Simonyi Károly [ˈʃimoɲi ˈkɑːroj], 1948年9月10日 - )は、ハンガリー・ブダペスト生まれのプログラマー。Intentional Software 社長兼最高経営責任者。2007年3月時点の純資産は10億ドル[1]。
ハンガリーにコンピュータが数台しかなかった高校生当時、電気工学の教授だった父親のシモニ・カーロイの計らいで、コンピュータ技師の補助の仕事をする機会を得た。最初に取り組んだコンピューターはソビエト連邦製 Ural 2。彼は1966年に高校を卒業するまでに自分のコンパイラを完成させた。その経験をもとにコペンハーゲンで職に就き、1968年にデンマークを後にする。アメリカ合衆国にあるカリフォルニア大学バークレー校で数学を専攻し、1972年に理学士号を取得する。
1972年から1980年までパロアルト研究所に勤務し、1974年にバトラー・ランプソンと共に世界初の WYSIWYG ワープロ Bravo を開発する。1977年、博士論文でグループでのソフトウェア開発手法として「メタプログラミング」の概念を提唱し、スタンフォード大学で計算機科学の Ph.D. を取得。1981年にマイクロソフト社に転職し、Microsoft Excel(Microsoft Multiplan)や Microsoft Word を開発した。その過程で、変数の命名法の一つであるハンガリアン記法を考案する。アプリケーション開発責任者やチーフアーキテクトを務め、マイクロソフトリサーチ でインテンショナルプログラミングの研究に従事したのち2002年に退社。同年8月、インテンショナルプログラミングの概念を採用したソフトウェア会社、Intentional Software 社を立ち上げる。
慈善活動にも関わり、1995年にオックスフォード大学に寄付し、Charles Simonyi Professor of the Public Understanding of Science(科学啓蒙のためのチャールズ・シモニー教授職)が設置された。2004年1月には5000万米ドルを投じ、科学や芸術活動を支援する財団 Charles Simonyi Fund for Arts and Sciences を設立した。2005年にはプリンストン高等研究所に2500万米ドルの寄付を行った。
また、シモニーは13歳のモスクワ旅行の際パベル・ポポビッチ宇宙飛行士に出会い、以来宇宙旅行を夢見ていた[2]。そして2007年4月7日にロシアの宇宙船ソユーズTMA-10により宇宙へ向かい、国際宇宙ステーション(ISS)での滞在後帰還した。これにより ISS を訪れた5人目の民間宇宙旅行者となった。またハンガリー人としては2人目の宇宙飛行士でもある。さらに2009年3月26日にソユーズTMA-14で2度目の宇宙旅行を行い、2回の宇宙旅行を経験した唯一の人物となった。旅行代金は、一度目は2100万ドル、二度目は3500万ドル程度と自身が語っている。[3]
ヘリコプターの操縦ができる。

参照元:チャールズ・シモニー - Wikipediaはてなブックマーク _%%TITLE

ワープロやらMicrosoft Officeの開発、「ハンガリアン記法」の考案など、華々しい功績を残しておりますね。

そして、海外の成功者の多くは慈善事業を進んで行なう方も多いですが、チャールズ・シモニー氏も同様に積極的に行なっています。

本当に「偉人」ですね!

Microsoft Excelの前身「Microsoft Multiplan」も開発!

開発が始められたのは1980年。開発中のコードネームは"EP"(エレクトロニック・ペーパー)。先行していた同カテゴリーの表計算ソフトVisiCalcはアセンブリ言語で書かれており、移植が困難という欠点があった。Multiplanはより多くの機種に移植できるようなものとする為、オペレーティングシステム上で動作するアプリケーションとされ、移植が容易なC言語にてコーディングされた。更に p_code と呼ばれる中間言語を介することで、移植時に変更点が少なくて済むような設計となっていた。但し、この特徴が動作を遅くする結果にもつながった。
開発責任者はチャールズ・シモニー。かつてゼロックスのパロアルト研究所で働いていたシモニーは、Altoで採用されていたGUIの使い勝手の良さを知っており、それを取り入れるべくソフトウェアをデザインした。常時表示されるメニューやプロパティシートは、マウスによる操作を想定したものである。Altoの存在を知っていたビル・ゲイツもその思想に賛同していた。[2]
1982年に販売開始された当初の売れ行きは好調だったが、翌年にLotus 1-2-3が販売開始されると、IBM PC/ATおよびその互換機用アプリケーション市場においては苦戦を強いられた。1-2-3はMultiplanよりも多くのメモリを必要としたが、C言語で書かれたものよりも高速に動作するアセンブリ言語で書かれていた。Multiplanはバージョンアップのたびに機能を強化して1-2-3を追撃しようとしたが、既に1-2-3は利用者の絶大な信頼を得ており、その牙城を崩すことはできなかった。[3]但し、1-2-3の他言語対応が遅れたこともあり、欧州や日本の市場では比較的善戦した。また、Macintoshにおいては標準的な表計算ソフトの地位を確保した。これは、当初より移植を前提として多様な環境に対応できるよう設計されていたことが大きい。
1-2-3の前に一敗地にまみれたマイクロソフトは、後にGUIに特化した表計算ソフトとしてMicrosoft Excelを生み出すこととなった(Macintosh版は1985年、Windows版は1987年)

参照元:Microsoft Multiplan - Wikipediaはてなブックマーク _%%TITLE

表計算ソフトの黎明期にマルチプランというソフトを開発されていたそうです。

当時ロータス社のソフトの方がシェアが高く苦戦していたという点は純粋に興味深いです。(管理人が生まれる前とか赤子とかの時代なので)

すごいのは、先の見通しを持って拡張性や多様性を保持したものを設計するという思想。

今リリースされている他製品でもそうだと思いますが、優れている製品は「見えないものが見える」とか「未来への開発者としてのコミット・信念」などが感じられ、時代の変化とともに大ブレークしたり、信頼を得たりしたりしているケースが多いように感じます。

民間宇宙飛行士で唯ひとりの宇宙旅行経験者!

チャールズ・シモニー氏は、仕事ばかりに没頭した訳ではない。
彼が13歳でモスクワを旅行したとき、宇宙飛行士のパベル・ポポビッチ氏に出会い、以来宇宙旅行を夢見ていたそうだ。少年の日の夢は大人になっても変わらず、2007年4月7日、ロシアの宇宙船ソユーズ「TMA-10」に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)での滞在を実現している。世界で5人目の民間人宇宙旅行者であり、少年の頃の夢を見事に果たしたのだ。

参照元:【IT革命児】WordやExcelを開発した天才は、宇宙旅行の夢もかなえた「チャールズ・シモニー」 - ライブドアニュースはてなブックマーク _%%TITLE

米富豪のチャールズ・シモニー氏(60)は26日、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられたロシアの宇宙船「ソユーズ」で、2度目の宇宙観光へ飛び立った。
民間宇宙飛行士として2回の宇宙旅行を経験するのはシモニー氏が初めて。
同乗したロシアの宇宙飛行士ゲナディ・パダルカ氏は、打ち上げ後の交信で「調子はいい。すべてが順調だ」と話した。
ソユーズが打ち上げられ徐々に視界から消えてゆくと、発射台の近くからその様子を見ていた妻のリサ・パースドッターさん(28)は、親族らと抱き合い涙を流した。
ハンガリー出身で、米マイクロソフトでのソフトウェア開発で財産を築いたシモニー氏は、2回の宇宙旅行に6000万ドル(約59億円)を支払った。
シモニー氏は搭乗前の記者会見で「結婚したばかりで家族と過ごす時間が欲しいので、3度目の宇宙旅行は考えていない」と話している。

参照元:米富豪チャールズ・シモニー氏、2度目の宇宙へ | 世界のこぼれ話 | Reutersはてなブックマーク _%%TITLE

少年のころの夢を叶えた、という点は非常にうらやましいですね。

なにせ私自身、少年のころにどんな夢を描いていたかさえも今やあいまいですから。

しかし、宇宙旅行の費用が6000万ドル(約59億円)とは破格すぎますね・・・!

まとめ

さまざまな華々しい経歴を残しつつ、精力的な慈善活動、自身の夢である宇宙旅行の実現など、さまざまな視点でみてもまさに人生の成功者といえます。(少なくとも第三者から見て)

やっぱり私自身一番参考にすべきは「少年の頃の夢」を果たすまでに努力するという姿勢ですね。

自分の夢・目標をもう一度再定義して、日々の行動に細分化して一歩ずつ取り組んでいきたいものです。